18/05/10 【読後感】仏教と日本人(阿満利麿:あま としまろ)ちくま書房
2007年5月発刊本。作者は阿満利麿氏(1939~ 日本の宗教学者)。京都市の浄土真宗西本願寺の末寺で生まれ、NHKを経て明治学院大学国際学部設立時に教授に招聘。2006年3月より名誉教授。著書「日本人はなぜ無宗教なのか」(ちくま書房:1996/10)等
「葬式仏教」で代表される<日本独自の仏教>の歴史・背景・経緯を豊富な視点で理論的・中立的に読み解いた秀書です。菅原文子氏の推薦で読んでみました。
私の住む関西では多くの「お地蔵さん」があり、地域の小学生を中心に毎年夏に「地蔵盆」という小さなお祭りがあります。北国出身の私の周りには、その風習はございませんでした。関西に引っ越した時から興味をもってみておりました。
「地蔵」は「阿弥陀如来」の使者として、「死者」を極楽へ導く「地蔵菩薩」のことで、子供もかわいがるとのことです。
本書では、「地蔵」が広がった経緯として、仏教が入る前から「ムラ」の外に埋葬した「死者」が二度と「ムラ」の中に入ってこないように、「ムラ」の内と外の境界に石(巨岩信仰など石も信仰の対象)を積み上げて、結界とする民間信仰があり、その後、一部の石が棒石となり、そこに人形が彫られた(道祖神)。仏教が入ってきて、「死者」を極楽に導いてくれる「地蔵」が人形の変わりに彫られるようになった。特に当時の都会である京都でさかんになった。
他にも、地獄、神教との関連、妻帯肉食のお坊さん等日本で独自に進化した内容が書かれていました。
全体を読んでみて、仏教は日本人に寄り添りながら進化しており、日本人の願いが仏教に影響しているように思いました。
18/05/08(18/05/05)【愛知県道の駅】岡崎藤川宿 他 ドライブ旅行2日目
二日目は道の駅めぐり。夫婦旅行の二日目恒例行事です。
まずは、道の駅 岡崎藤川宿。
銘品が陳列。
お酒、花火、味噌、むらさき麦等々
地元野菜の売り場で、美味しそうなトマトを陳列していた内田さんから話しを伺いました。息子さんが作っているそうです。急に赤ミニ、黄ミニを一袋づつ開けていただき、試食させていただきました。濃厚な味。ミニトマトと大玉トマト買わせていただきました。道の駅では、生産者農家さんと直接会話できるのと、会話により自家菜園スキル向上の楽しさがあります。
昨日訪問した豆蔵さんとの提携商品も販売してました。珈琲粉?がまぶしてあります。
次の道の駅に向かっていたら、JAのとても大きな販売店が目に入ったので、急遽寄り道。
丁度 家庭菜園用のトマトの苗が後数本欲しかったこともあり、あまり目にしたことのない種類を購入。すごい混雑。
最後に、筆柿の里 幸田
筆柿はとても甘い早生の柿。幸田市が95パーセントの生産量。
軽く昼ごはんを食べました。
写真撮るの忘れました。
お土産のゼリーの写真しかありません。
他にも寄りたかったのですが、GW最中なんで、道路が混まないうちに帰路につきました。
とりとめのない話しでごめんなさい。
読んでいただきありがとうございます。
18/05/07(18/05/04)【愛知県 足助・香嵐渓】ドライブ旅行
愛知県の東部にある紅葉で有名な香嵐渓(こうらんけい)がある足助町を訪問しました。紅葉シーズンは大変な混雑ということなので、あえて春に訪問。。
香嵐渓は矢作川支流巴川がつくる渓谷で、 愛知高原国定公園に指定されてます。
宮町駐車場に車を置いて、昼ごはんは鰻屋「川安」さんにGO。予約表に名前を書き、まだ営業開始まで1時間程あったので、街並み散策に。
足助は江戸時代から三河湾の塩を信州に運ぶ飯田街道(塩街道)など複数の街道が交わる宿場町として発展。
もと銀行の建物が資料館になってました。案内の方の説明では、足助は街道が交差する重要な拠点で、にぎわったそうです。
足助の歴史 戦国時代は大変だったみたいですね。
今は一件しか残っていない塩の店(各地の塩をブレンドしてました)とか和菓子屋さんとか苗屋さんに寄って話をしてたらたらあっという間に1時間。 あわてて店に戻ります。
うな重をいただきました。一つづつ丁寧に作ってくれます。うなぎがでかい。うまい。
食後は香嵐渓を散策。大きな「こいのぼり」が川にかかってました。
あざやかな新緑の もみじの葉 がとてもきれいです。人もいっぱいいました。
きもちのいい一日でした。
18/05/07(18/05/04) 【珈琲通 豆蔵 岡崎店】コスタリカ ゲイシャ
5月4日から夫婦で愛知県に1泊のドライブ旅行をしました。
朝とっても早く家をでましたので、車の渋滞もほとんどありませんでした。
最初の訪問は、昨年の夏以来の岡崎市 カフェ豆蔵。
おいしい豆をおいしくいれてくれるカフェです。
朝8時開店で8時15分頃に入りました。8時30分頃にはほぼ満席。
珈琲そのものよりも、楽しくおしゃべりしながらモーニングを食べに来られる方が多かったように思います。
二人で コスタリカ グラニートス ゲイシャ(本日の珈琲)を注文。
前回訪問時、豆を購入した際にいただいた飲み物無料券が2枚あったので使いました。
しばらく待つとウェッジウッドのおしゃれなカップででてきました。
うーん。ゲイシャのフルーティさがたまりませんです。
無料でゲイシャが飲めるなんて、なんとすばらしいお店なんでしょうか・・
ちなみに、クロワッサンのモーニングも無料です。
(12時までモーニングって・・・すごい)
本日のメニューはちなみに下記でした。
帰りに豆を400g(4種類)購入して、また無料券を2枚いただきました。
ゲイシャの豆はとっても高価で手がでませんでしたが・・・
次回(とっても遠いですが)いつの日か訪問したいと思います。
18/05/07(18/04/28) 【平井酒造】 滋賀県大津市 酒蔵訪問
昨日でGWも終わりましたが、家庭菜園等でブログを更新できなかったのでこれからいくつかに分けて書き留めます。
4/28 大津駅観光案内所様主催で滋賀県・大津の魅力を伝えるツアーが開催されました。日本酒大好き(注:強くはないです)。1000円。今回は車ではなく電車でGO!です。
集合時刻(10:30)の10分前に大津駅観光案内所に集合。20名程。老若男女まざってます。
気持ちのいい春の空気を味わいながら街並みを10分程歩くと目的「平井商店」。
有限会社 平井商店 | ほぼ土曜大津 お店とか|ほぼサタデイ限定大津ガイド 土曜は大津、晴れの日は浜大津
平井商店は創業万治元年(1658年)で360年続いている、商店街の造り酒屋さんでした。銘柄「浅茅生(あさぢを)」。
早速中に入らせていただきご主人からお話しをききました。
大津は東海道五十三次の53番目の宿場町。安土桃山時代の天正14年(1586)頃に琵琶湖岸に大津城が築城され、城下町が誕生した頃から人が集まり、江戸時代には「大津百町」(おおつひゃくちょう)と呼ばれる小さな単位の100町で構成され、大変にぎわっていた。
残念ながら、当時の建物は「土」造り(土蔵等)であり、老朽化で取壊され当時の街並みはほとんど残っていない。「レンガ」造りが間に合っていたら、横浜、函館のレンガ建物のように、大津も観光スポットになっていたかもしれない。
米(取引所があった)と人と水が集まる大津では、77の造り酒屋があったが、現在は大津市全体でも3つを残すのみ。
とのことです。
酒と水を運ぶ道具。鉄製器具は、日本酒に赤錆びが入る可能性があるので、使わないとのこと。
日本酒のタンク。”検定日”は計量法変更により、S33年12月31日までに尺貫法(しゃっかんほう 日本酒の”一合”)からメートル法準拠に変更必要となったため、タンクに酒が何㍑入るかを改めて検定した年月日。タンク製造年月日では無い。
とても立派で太い梁。2階でもお酒が作れるとのこと。
日本酒を絞る機械。手間はかかりますが、おいしいお酒が絞れる”佐瀬式”。
写真だけで絞り方がわかりずらいので、リンクをつけます。
片山酒造初搾り!佐瀬式とは?-日光ブランド情報-日光ファン~日光LOVEな方のファンサイト
試飲はこの3種類。お嬢様が運んでくれました。おかわりしました。「みずかがみ」は滋賀県のおいしいお米です。
日本酒は酒母(しゅぼ:蒸米・麹(こうじ)・水で酵母を培養したもの)に、さらに麹・蒸米(むしまい)・仕込み水をまぜた醪(もろみ)を発酵させてつくります。酵母が熟成を進めます。酵母は瓶づめされたお酒にも入っており、そのままでは熟成活動を続けますので、「火入れ」で熟成をとめて、酒質を安定させています。
ただ、低温(蔵ではマイナス温度)にして酵母菌の活動を抑制<要冷蔵のお酒、「生酒」>する方法もあるのですが、抑制しても少しづつ熟成が進む(酒があまくなる)ので、細かい注意が必要とのことです。
最後におみやげに酒粕をいただき、12時頃少しだけほろよい加減で店の外に出ると、ちんどん屋を・・何年(10年以上)ぶり?・・見ました。昭和の香りです。いいですね。
日本酒といえば、「おそば」。昼ごはんは自家製麺「津ノ清」でざるそばをいただきました。すっきりしたそばでとてもおいしくいただきました。
津ノ清 | ほぼ土曜大津 お店とか|ほぼサタデイ限定大津ガイド 土曜は大津、晴れの日は浜大津
その後も大津の街並みをぶらぶら歩いて帰りました。
18/04/25【本の窓 5月号】朝(あした)の紅顔 夕(ゆうべ)の白骨(菅原文子)(小学館)
小学館の月刊PR雑誌の巻頭エッセイから。著者菅原文子(すがわら ふみこ 1942年生)氏は、俳優故菅原文太氏(1933〜2014)の妻。文太氏生前から山梨県で無農薬有機農業をしている。
今回は、文子氏の食事/美味探訪と同じ位の楽しみである読書に関するエッセイ。
ドイツ生まれ実存主義で有名な哲学家ニーチェ(1844〜1900)の遺書「この人を見よ」の読後感。鮮烈。
私も急遽購入して読み始めてます。「この人」とは、「ニーチェ本人」ではないかと私は考えてます。ニーチェは最後は発狂したといわれており、自分を最高の人物とした大前提で、自分の過去の著作物の振り返りなどを書いてます。天狗です。文子氏のエッセイにも記載がありますが、私も、「遺書」として周りに配慮することなく自分の想いを書いた本ではないかと感じました。
それにしても、「仁義なき戦い」「トラック野郎」の文太氏が晩年有機農業をし、それを広げる講演活動等もしていたとは意外でした。WEBで調べていると、農薬・化学肥料を使った農業に危機感を感じた文太氏の日本の将来を考えた上での行動とのこと。深い人だったんですね。
文子氏「私の思考のテーマは、自分の位置情報を探すこと。人間は水平軸(世界と日本)と時間軸(歴史と未来)の交点に生きている。その位置を確かめ足場を作らないと、ふわっとと風船のように浮かんだまま、いつのひか空気が抜けて萎むようにして死んでゆく」
奥さんも深い人でした。